【ジャックラッセルテリアの歴史】
ラッセル牧師と猟犬、それに加わるジャックラッセルテリアの絵画。
ジョン・ラッセル牧師(1795年〜1883年) イギリス・デボン州の、 ジョン・ラッセル牧師(リバー・エンド・ジョンという名でもあったようです) (1795年〜1883年)が創始者。 ジョンのあだ名が「ジャック」で、「ジャック・ラッセル・テリア」となりました。 ちなみに「パーソンラッセルテリア」の 「パーソン(parson)」は、日本語で「牧師」という意味です。 牧師なのにフォックスハンティング、いわゆるキツネ狩りを熱狂的に愛していたようで それっていいのでしょうか・・?という大胆不敵でアグレッシブなところが ジャックラッセルの性質にも表れているように思います。 (・ちなみに現在のイギリスではキツネ狩りは法律で禁止されています。) オックスフォード大学・エクセター・カレッジ(Exeter College)奨学生で頭脳明晰。 また熱血漢でとても情に熱く、自らの損をかえりみる事無く 貧しい人や困っている人たちに尽くす事が出来る人だったようです。 迫害を受ける傾向にあったジプシー(移動民族)の人たちにも敷地を貸して滞在させたり、 差別や迫害を受ける境遇から、常に守ってあげる立場にいたようです。 |
1819年、24才の時、 ミルク売りの荷台に乗っていた白黒の雑種の犬に一目ぼれして、 その場で熱狂的に交渉して譲ってもらったのが始まりです(有料か無料かは不明)。 その犬の名はトランプ(Trump)(♀)。(下の画像は、なんとトランプのスケッチ画。) 全てのジャックラッセルはこのトランプの子孫ということなのかもしれません。 ちなみに日本でのトランプは英語では「cards」で、「trump」は別な意味の単語です。 「切り札」、「素晴らしい奴」という意味合いで「Trump」と名付けたのではないかと、 勝手ではありますが想像しています。 その後様々なテリア、ビーグルなどがかけ合わされて、 ジャックラッセルが作り出されていきました。 短鼻のブルドッグの血は除外するなど、容姿のスマートさにも気を使っていたようです。 ラッセル牧師はジャックラッセルテリアの確立の一方で、 1873年に設立されたイギリスのケンネル・クラブ創設にも関わりましたが、 ジャックラッセルテリアをそのドッグショーには出陳しませんでした。 それはスタイルのみが先行し、本来の作出目的と機能性、作業能力が 取り残されていくことを危惧したためで、 また他のあらゆる犬種と比べ合うこともナンセンスということで、 さらに自分の理想のジャックラッセルへの追及を続けました。 (このあたりにも格好よさを感じます)。 その後世界に広まり、オーストラリアでコーギーペンブローク等と交配されて 足の短いタイプ、性格もマイルドなタイプに徐々に改良されていったようです。 立ち耳がスタンダードであるコーギーとの交配で、 垂れ耳の特徴を残していったのには高度なブリーディングテクニックを感じます。 現在の立ち耳のジャックたちはこの時期の遺伝子の影響があるのかもしれません。 ジャックラッセルテリアが国際的な犬種団体FCIに公認されたのは2000年、 日本で公認されたのは1995年、日本での歴史はまだ新しい犬種と言えます。 アメリカではなんと現在も非公認です(パーソンラッセルテリアは公認されています)。 ジョンラッセル牧師時代のジャックラッセルと 近年のジャックラッセルとでは違いが出てきたため、 ジョンラッセル牧師時代のタイプのジャックラッセルを「パーソンラッセルテリア」として、 区別するようになりました。 |
時代を感じる絵画 ジャックラッセルテリアが描かれている絵画も多く存在しています。 |
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